国内ほぼ全域でワイン生産が行われているニュージーランド。その最北のワインリージョンが“ノースランド地方”です。
目次
ノースランド地方とは
名前を見てわかるとおり、国土が南北二つの大きい島に分かれているニュージーランドの北島の、ニュージーランド随一の都市オークランドがあるオークランド地方よりさらに北側の広大な地域一帯を指しています。
全土にさまざまな有名観光スポットがあるニュージーランド。ノースランドはもしかしたら、ワインリージョンというより観光地というイメージの方が強いかもしれません。
ドルフィン・ウォッチング他、様々なマリンアクティビティを楽しめる中心地、ベイ・オブ・アイランズ地方には、ほんの数か月でしたがニュージーランド最初の首都となったラッセル、イギリス人入植者と先住民マオリ族との条約締結の舞台ワイタンギという歴史的な街もあります。
世界でも最大級の杉の仲間、カウリが育つワイポウア・フォレスト、世界的建築家フンデルトヴァッサーがデザインした公衆トイレがある田舎町カワカワ。さらに北上しファーノースと呼ばれる、ニュージーランドの角(つの)の様に見える細長い部分には、100㎞ほど延々と砂浜が続く“90マイルビーチ”。そして最北端のケープレインガには、突端に建つ白い小さな灯台と、その脇に佇むTOKYOやLONDONなどへの距離と方角を表した標識はあまりにも有名です。
ニュージーランドワイン史、始まりの地
そしてこの地方は“ニュージーランドワインの故郷”とも呼ばれています。いまでこそマールボロやセントラル・オタゴなどが産地として有名になりましたが、ニュージーランドワインの歴史はここから始まりました。
1819年にオーストラリアのシドニーから渡ってきたイギリス人宣教師サミュエル・マースデンが、ベイ・オブ・アイランズ地方にあるケリケリ(Kerikeri)という街に、100種あまりのぶどうの苗を植えたのがその始まりとされています。その直後、やはりイギリス人でシドニーから監察官としてやってきたジェイムス・バズビーが、フランスやスペイン原産のぶどう品種をワイタンギに植え付け、ワイン造りを始めました。
ジェイムス・バズビーといえばオーストラリアのワイン用ぶどう栽培の父ともいわれ、オーストラリア・ワイン史においても重要な人物。ともあれこれらの国々のワインの歴史は、イギリス人の開拓者たちの手によって起こされました。
その後カウリ・ガム採掘のために渡ってきたクロアチア人たちが、ヨーロッパの伝統的なワイン造りをもたらし、現在のニュージーランド・ワイン産業を形づくっていきます。なるほど、ニュージーランドを旅していると、創業者のルーツがクロアチア人であるというワイナリーにいくつか巡り合った覚えがあります。
ワイン産地として
南半球にあるニュージーランドは、もちろん赤道に近い北に行くほど気温はあがるので、ニュージーランドで一番温暖な生産地域と言え、気候的には亜熱帯に属します。
とはいえ夏場の気温が日本の様に30度を超すことはなく、一方で冬場の最低気温が10度くらい。年間を通しての平均気温が高く、寒暖差が少ないことがわかります。降雨量も比較的多めで、ぶどう栽培やワイン造りにはお世辞にも適している土地とは言えません。
このことが、のちにワイン生産の中心地が南下していく背景になったともいえるでしょう。
それでもこの地域では少ないながらもワイン生産が続けられています。
ワイナリーは全域で15軒に満たない数で、そのほとんどがケリケリを中心としたベイ・オブ・アイランズ地方に集中しています。
国内の生産地域を10に分けて栽培面積を比較すると、1位のマールボロのおよそ400分の1という少なさで、9番目に位置します。
ぶどう品種は白のシャルドネ、ピノ・グリ、赤はシラーやメルロが中心となります。高め平均気温により、アルコール・ヴォリュームのあるトロピカリーな白やスパイシーな赤を産出しています。
中心地のケリケリにはオークランドから車で3時間ほど、飛行機では1時間弱。前述したようにリゾート地なので、パッケージツアーなどでノースランドに行く機会もあるかと思います。
その際には是非この地にもワイナリーがあることを、忘れずにお出かけください。