有名なシャンパンのひとつであるヴーヴ・クリコは、未亡人クリコという意味です。その女性が夫の後を引き継ぎ、後にシャンパーニュ事業を発展させて、シャンパーニュ地方の偉大な女性(ラ・グランダーム)と言われるようになりました。今回は近代初の女性事業家となったマダム・クリコと現在属するLVMHグループのお話です。
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MHDホームページよりイエローラベルブリュット
1772年ランスの銀行家であったフィリップ・クリコが、「クリコ」の商標でワインハウスを設立しました。彼は大変なやり手だったそうで、1775年に世界で始めてロゼ・シャンパーニュを出荷しました。その息子のフランソワと1799年に結婚したのが、バルブ・ニコル・ポンサルダンで、当時はフランス革命の最中、地下のカーブで結婚式を挙げたそうです。しかし、4年後に幼い娘を残してフランソワが他界してしまい、マダム・クリコは27歳の若さで未亡人となってしまいました。そこで彼女は一念発起、夫のシャンパーニュにかけた情熱を受け継ぎ3代目の社長になります。当時革命が進み王政、貴族制が廃止になって、特権階級の贅沢品とみられたシャンパーニュは正に逆境でした。そこで彼女はナポレオン戦争中でありながら、ロシア宮廷に輸出をして皇帝や貴族への売込みに成功し、ロシアの上流階級はクリコしか飲まないとまで言われるようになりました。彼女のメゾンでは、販売面だけでなく製造面においても動瓶という方法によって澱を取り除くことに成功し、透明なシャンパーニュの開発をしました。また最高の区画を持つブドウ園を徐々に取得していき、それが現代のヴーヴ・クリコの財産として受け継がれています。
現在の会社(ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社)は、世界有数のブランドを持つコングロマリットLVMHモエ・へネシー・ルイ・ヴィトンの傘下に入っています。LVMHグループを率いるのはベルナール・アルノー最高経営責任者で、エリート養成校の国立工科大学(エコール・ポリテクニーク)を卒業後、父親が経営する不動産会社(フェレ・サヴィネル)に入りました。3年後の74年から社長を務め、米国で不動産事業をしたいという夢を持っていました。彼が始めてニューヨークを訪れた時、タクシーの運転手にフランスについて何か知っているかと尋ねたら、「大統領の名前は知らないが、クリスチャン・ディオールなら聞いたことがある」と答えが返ってきて、ファッションブランドに興味を持ったそうです。その後ミッテランの社会党政権を嫌った彼は、82年に米国に移住して高所得者向けの不動産販売で成功します。84年になると思い出したかのようにクリスチャン・ディオールを所有する繊維会社ブサックを買収し、それからルイ・ヴィトン、セリーヌ、ブルガリ、ゲラン等次々とブランドを買収していきました。当初は不動産屋が何するものぞとの批判もありましたが、不動産もブランドも対象相手がセレブで、その人達の嗜好を熟知していたこと、また既存の考えに捉われない大胆な改革で弱まったブランド力を巻き返したことが成長につながっていきました。
カシミヤを着る狼と言われるアルノー氏は、グループ内にモエ・エ・シャンドン、ドン・ペリニヨン、ヴーヴ・クリコ、へネシー等の酒類会社がありますが、普段はいったい何を飲んでいるのでしょうか、気になります。もしかしたら日本酒だったりして。
瓶の形状でケチだと誤解されるお酒って何だ?
答えはワインとシャンパンです。それらの瓶の底はかなり大きく凹んでいます。この凹みのことをパントとかキックアップと言います。パントとは元々「~離れて」、「向うの方へ」、または分離を表す言葉です。この凹みをつけた目的は諸説ありますが、その一つに凹みの部分に発酵が終わった後の酵母の残骸(澱)を集める目的があります。上げ底して内容量をケチッているわけではありません。ということで、今回はシャンパンの澱を除去する方法の話です。
二次発酵後のシャンパンは、長期間熟成された後、瓶内に溜まった澱を取り除く作業に入ります。まずは瓶をピュピトルというボードに逆さに斜めに傾けてセットし、一日1/8回転させて徐々に倒立させていくことを毎日3~5週間続け、最後は倒立させます。そうすると瓶内にあった澱は、瓶口に集まります。この作業を動瓶(ルミアージュ)と言います。この方法を考案したのがブーブ・クリコ・ポンサルダンという女性が経営していたメゾン(シャンパンメーカーのこと)です。ブーブとはフランス語で未亡人という意味で、彼女は若くしてメゾンを経営する夫を亡くしましたが、その後社長業を継いで大活躍をします。そのメゾンの技術者であるアントワーヌ・ド・ミュレがこの動瓶ということを考案して、それまで澱で薄く濁っていたシャンパンが、透き通った色に変わりました。彼女の名前のついたシャンパンは、モエ・シャンドンと並び現在の日本では有名な銘柄です。
動瓶はとても手間のかかる作業なので、現代ではジャイロ・パレットという機械を使い1週間程で完了します。それでも昔ながらのやり方にこだわっているメーカーも健在です。
動瓶して溜まった澱を除く方法は2通りあります。一つはア・ラ・ヴォーレという方法で、熟練した職人が静かに瓶を栓が上向きに立てて栓を抜き、澱を中の圧力で吹き飛ばしてすぐに親指で栓をした後、仮止めの栓をします。ちょっとばっちぃ気もしますが、気にしない気にしない。
もう一つはネック・フリージングという方法で、逆さまの瓶の澱の溜まった部分をマイナス約25℃の冷媒に漬けて凍らして、これも栓を上向きにして立てた後開栓してその部分だけを吹き飛ばす方法です。いずれにせよ澱と若干の液が飛んでしまうので、減った分の補充としてドサージュというリキュールを添加する作業が行われます。このリキュールは、主に特に出来の良い年のワインと蔗糖とブランデーから出来ており、別名門出のリキュールと呼ばれます。この作業はシャンパンメーカーの個性を出す重要な作業であると共に、加える甘味の度合いによって甘辛度が変わり、甘い方からドゥー、ドゥミ・セック、セック、エクストラ・セック、ブリュトと呼ばれます。
ここで一つの疑問が生じます。この澱抜きの作業で一旦栓を抜くのにどうして炭酸が抜けないのでしょうか。これは二酸化炭素の性質によるものです。二酸化炭素は圧力がより高く、温度がより低い方が水に溶けやすい性質を持っています。シャンパンは中の気圧が約6気圧で、保管温度は約10℃です。また開栓後の液面と瓶の口の間の気圧が下がった空間は狭いので、そこから二酸化炭素が抜けていくには時間が必要ですが、作業は瞬時に行われます。これらのことから作業で失われる炭酸は微量と思われます。