人々に清貧を重んじていた江戸幕府の統治が終わり、文明開化を迎えようとしていた明治時代初期。西洋文化をお手本に日本文化に合わせてアレンジした多くのものが受け入れられるようになりました。牛鍋、カツレツ、カレーライスといった西洋風料理が流行しますが、それらを食べることができたのも、やはり一部の上流階級や小金持ちに限られました。家庭ではあいかわらず一汁一菜が基本で、芋飯に干した魚、野菜の煮物といった献立ですから、本場ヨーロッパの渋みの強いワインが素朴な味わいをを引き立てる相棒とはならず、多くの人が日常的に愛飲するものではありませんでした。
当時、ワインは葡萄酒と呼ばれていました。漢方薬を商う薬種問屋が葡萄酒、ブランデー、ウイスキーなどの洋酒を輸入販売し、ごく少量を毎日飲んで身体に精力をつけ健康を増進する“洋薬”として扱っていたのです。薬用葡萄酒のイメージを宣伝の力で一新し、一般市民に普及したのが壽屋洋酒店(現在のサントリーワインインターナショナル)の赤玉ポートワインです。
目次
~妙計奇策のワイン~
“商品は中身だけで売れるものではない。名前と包装が大事である。”
これは、赤玉ポートワインの生みの親、鳥井信治郎さんのお言葉です。日本人の味覚にも食卓の習慣にも馴染まなかった葡萄酒の魅力にいち早く注目し、どのようにしたら日本人の舌に合うものになるのかと考案されたのが、スペイン産の良質な葡萄酒に砂糖や蜂蜜、各種の香料、薬草を調合し、風味付けをしたものでした。そしてこれを売り出すために信治郎さんが行ったのが、今日の日本広告史に残る企画戦略たちでした。
1) ハイカラな名前
本格的な洋酒であるとアピールするために、薬用酒でも葡萄酒でもなく“ワイン”と命名しました。異国情緒を感じさせるネーミングは画期的で、文明開化に沸いて西洋文化を取り入れたいと願う人々にとってインパクトがあり、とてもオシャレに映りました。
2) 親しみやすいトレードマーク
“日本は太陽の国。赤くて大きな日の丸ほど、誰にでも親しまれるものはない。”
真っ赤な日の丸印がトレードマークの赤玉ポートワイン。マークのヒントは信治郎さんがふと目にした外国製の香水瓶ラベルの隅についていた小さな赤丸でした。「赤玉」のネーミングの由来は「太陽」。そして、日の丸のイメージとも重なる赤丸のボトルラベルデザインには、“日本にしかない、日本人のための日本のワイン”を追求した信治郎さんの強い思いが込められているのです。
3) こだわり抜いた赤色
赤は赤でも黄味がかった明るい朱色、黒味を帯びて深く艶やかな臙脂色、赤を表す日本の色名だけでも100種類近くあります。信二郎さんはラベルを印刷する際に、赤玉の赤がどのような赤であるべきかの確固たるイメージを持っていました。思い描いている通りの赤色を再現するために印刷業者に度重なるやり直しを依頼し、ようやく完成に辿り着いたのです。
印刷にも工夫が凝らされていました。ラベルの赤玉マークの後ろにRedBallという小さな文字を集めた模様を入れたり、包装紙の外貼りラベルには網目の浮き出し印刷を施し、万が一ワインを偽装されても見分けられるようにしていました。当時の印刷職人の技術の粋を尽くしたラベルは、容易く模倣できるものではありませんでした。
4) 新聞広告
“たかが葡萄酒を売り出すくらいで新聞広告を出したら、いっぺんで潰れてしまう。”
明治40年(1907年)、壽屋洋酒店が初めて赤玉ポートワインを新聞広告に掲載した際、世間からはこう揶揄されました。初回の内容は「洋酒問屋 自家醸造品は特に御割引仕候」と、商品名も宣伝文句もないシンプルなものでした。
老舗書店の丸善が大英百科全書の発売を、三越がデパートメントストアの宣伝を広告し始めた頃ですから、ワインひとつを売り出すための戦略としては異例のことです。
ですが信治郎さんは早くから新聞広告の持つ役割の大きさに着目し、利用方法を日々研究していました。その後、新聞広告が一般市民に浸透していきます。すると、間髪入れずに掲載したのが紙面全ページを使った広告です。ダミーの記事の上に朱墨で子供がいたずら書きをしたような「赤玉ポートワイン」の文字。これを見た人はさぞ驚いたことでしょう。やっと新聞広告というものが記事とは違う書体・レイアウトをするものなのだと認識始めた途端に、それを覆すものを見せられたのです。
“いくら良いもの作っても、ただつくるばかりでは売れない。そこで新聞広告を出すことを始めたが、これは大いに効果があった。”と、信治郎さんは晩年に過去を振り返り語られています。
5) ポスター
1922年に製作されたポスターはハイカラの象徴。日本初のヌードポスターであると語り継がれていますが、それ以外にもたくさんの新鮮さが詰まっています。白黒の世界の中でグラスに入った液体だけに与えられた美しい濃紫紅色にも目がとなりますが、注目したいのは横書きの「ワイン」の文字です。
現代の私たちには当然のレイアウトですが、それまでの日本は巻物に文字を書く縦書き文化でした。巻物を読むときは左手で持ち右手で引っ張りながら読むのが自然ですから、西洋文化が流入しても横書き文字は右から左に書き記されました。それが、このポスターでは横書きの「ワイン」の文字が左から右に進んでいるのです。読売新聞が見出しを左から右に変えたのは1946年。このポスターよりも20年も後のことなのです。
ワインそのものの品質にこだわるだけにとどまらず、どうしたら商品が広く認知され一般に浸透するのかを常に考えていらっしゃった鳥井信治郎さんは、私たちが世界中のワインを楽しめる文化の基礎を築いてくださったのですね。
~お供には…6Pチーズ~
円形の箱に詰められた6ポーションのプロセスチーズ。
正式名称は“ロクピーチーズではなく、ロッピーチーズ”ですと、数年前にSNSでも話題になっていました。マイルドで食べやすく学校給食にも登場、幼いころから慣れ親しんだ味わいです。
ヨーロッパで作られる円筒形のナチュラルチーズは内側から熟成が進みます。内側と外側では熟成度合いが変わるため、均等に味わえるようホールケーキのように中心部から切り分けつのが通例です。放射状に等分された6Pチーズの形は、伝統的なチーズから生まれたアイデアなのです。
パッケージも1935年の販売当時から続くデザインです。初期のパッケージは蓋の中央に円形の透明シートが貼られた構造になっており、箱の中の6つの三角形チーズを見せることで消費者に安心して購入してもらいたいという意図が込められていました。1975年のリニューアルで透明シートの部分はなくなり現在とほぼ同様の全面紙製となりましたが、中身のラベルを印象的に表現することで初期のイメージはしっかりと継承されています。
赤、白、青のトリコロールカラーは鮮やかで華やかな組み合わせです。明快なコントラストのある赤と青の間に白が入ることで、それぞれの色の印象がより強くなり、文字やイラストが読みやすくなります。
そういえば、国民的知名度のある猫型ロボットの彼も、青と白のボディに赤い鼻をしていますね。子供から大人まで幅広い世代に愛され、半世紀以上のロングセラーとなったのにはトリコロールカラーという秘密が隠されていた?