令和四年五月ゴールデンウィークの中日、仕事帰りに埼玉県川越市に遣って参りました。
目的は「川越市制施行百周年」を祝う為──と言うと聞こえが好いですが、本音は、平成二十二年十月に誕生した「川越市産業観光館 小江戸蔵里」、東口からクレアモール内を北上し、徒歩十分程にある観光スポットを訪問する為であります。
建造物は明治八年に創業した鏡山酒造の酒蔵を改修した物で、国の登録有形文化財に指定されております。
尚、当酒造は百年に亘る営業を経て、平成十二年九月に廃業、しかしこれを憂えた有志達により平成十九年二月に「小江戸鏡山酒造」として復活。松本醤油商店が土地と水を提供するという形で営業を開始した新蔵は醬油蔵敷地内に在り、その面積はテニスのインコート約一面分、もしくはプロレスリング約四個分という日本屈指の極小規模という事であります。蔵見学は不可ですが、折角ですので本日の締めに足を運んでみようと思います。
さて、敷地内には、入口から順に、川越銘菓や民芸品が並ぶ「明治蔵」、ゆったりした蔵の空間で地産地消の食を味わえる「大正蔵」、そして全訪問者の主目的であろう唎き酒が楽しめる「昭和蔵」、また鏡山酒造の備品を収蔵する「展示藏」があります。
では時間も限られていますので足早に昭和蔵に向かいます。蔵の中には、河川占有率全国第二位と良水が豊かな事もあり、清酒生産量全国第四位(平成二十九年度)である埼玉県の全蔵の酒が一堂に会しており、500円でコイン4枚に交換する事で、定番商品から新商品、期間限定商品など40種から、更にプレミアム商品も味見する事が出来ます。コイン1枚では純米酒と本醸造酒がメインで、他に特別純米酒(3種)、そして特別本醸造酒・大吟醸酒・純米大吟醸酒(各1種)、また梅酒やウイスキーに加え軽食もあり、それらから好きな物を選べました。清酒の造りで見ると、生酛・樽・生・原酒、加えて最近話題のワイン酵母使用酒もあり、どれにしようか悩まない人は居ないであろう程の選択肢が用意されておりました。
なお全アイテムの一覧リスト(日英対応)を貰えますのでじっくり吟味する事が出来ます。それでもどれにすべきか悩む方には、小江戸鏡山酒造「小江戸 純米原酒」、小山本家酒造「金紋世界鷹 純米吟醸酒」(212年続く清酒出荷状況国内四位の東日本最大の酒蔵で、昨年は特定名称酒製造量全国一位)、神亀酒造「神亀 純米酒」(燗で)(戦後初の純米酒製造蔵かつ日本初の全量純米酒製造蔵)、又は鏡山の復活に協力した五十嵐酒造の「天覧山 純米大辛口」(現在清酒の製造免許を新たに取得するのは殆ど不可能で、当蔵が免許を譲渡)をお勧め致します。
では実際にコインを投入して小サイズの紙コップに機械から注がれて見ると──手頃な金額設定だからでしょう、その小量さにやや吃驚。テイスティングというと一般的には50mLなのですが、こちらは20mL程。品の無い例えですが、うがい一回分がいいところ。概して清酒のテクスチャーは角の無い球体で、飲み込むという所作が不要に感じられるかのように「さわりなく」喉奥に収まる感覚を伴いますので、テイスター達が良く遣るように「ズズー」と空気を含むか、じっくりと嚙むようにしてテイスティングしないと、この量では味を見る前に液体がスッと口から無くなりますネ。一方、提供温度は16℃前後と冷え過ぎない適度な印象。因みに優柔不断な筆者は考えあぐねた末、晴雲酒造(株)の「金勝山 本醸造」という、埼玉県産酒造好適米「さけ武蔵」と花酵母の一つ「なでしこ酵母」で醸された酒と、松岡醸造(株)の「帝松 THE SAITAMA」、そしてそれらにメダル2枚の酒粕チーズを合わせる事に決めた次第です。
味わいですが、前者はやや果実感のある、本醸造酒に良く見られる膨らみの少ないあっさりした印象と花酵母らしい穏やかで優しい香味(花酵母はストレートにその花の香りを生成するものではありません)。燗上がりは殆どしない為、そのままの温度で。一方、後者は何と言ってもラベルが売りでしょう。
自虐的埼玉県民愛を描いた某映画で知られる「埼玉ポーズ」。純米原酒だけあってアルコール感が有り、豊かなお米の香味が主体の、切れの有る日本酒度+4のお酒。40℃のぬる燗にしてみると一気に麦などの穀物系の香りが立ち、アルコール感も飛んで甘・酸・苦・旨味のバランスが取れて旨い。燗冷ましも旨い。正に気分は「翔んで〇玉」!👌
それにしましても、お客は密に為らない程に居らっしゃって、やや自制心を失いかけた、コロナ飛沫感染の元凶とも言うべきやかましい酔っ払いさんもおりましたのに、誰一人としてちろりに手を付けていないという現実……。因みに、江戸期の書物には「チョロチョロ」と出るので「チロリ」とあり、日本ソムリエ協会の教本には「『ちろり』と直ぐに温まるところからの名称」とあります。
温度で遊ぶ面白味こそ清酒の醍醐味。此処で改めて、燗の魅力に気付くのはそれ相応の経験値が必要だという事を思い知らされた気がします。酒は僅かな温度の違いで歌舞伎の変化物の如く様々に変貌する飲み物。清酒ビギナーの方々には、是非とも手間が掛かるほど愛おしい燗酒に挑戦して頂きたいと、この場を借りて心より申し上げる次第で御座います。また当スポットで酒粕クリームを注文するのであれば尚更お燗がお勧め。温度の影響で口溶けがより好く為り、風味により膨らみが出ます。
──という具合で、清酒愛飲家なら最低でも一時間は十分に楽しめる観光スポットでありました。
では千鳥足で更に北上、情緒溢れ、映画撮影などにも使われる「大正浪漫夢通り」を抜け、仲町の信号から始まる「蔵造りの町並み」に出ます。軒には醬油、味噌、漬け物などを扱った発酵食品店が多く、人力車も走り心が躍ります。更に一足伸ばし、「残したい日本の音風景100選」の一つ「時の鐘」を拝みましょう。
(川越産米「彩のみのり」を使用した「小江戸ワイン酵母仕込み純米」、濃醇旨口でみたらし団子の様な風味も感じる個性的な味わいだが、予想に反して当初の予定の3倍の売れ行きとか。また当ラベルはシャトー・ラ〇ゥールと向こうを張っているとかいないとか…)
そして其処から徒歩1分の所に新生「小江戸鏡山酒造」があります。
当蔵は、平成十六年に埼玉県が始めて開発した県唯一の酒造好適米「さけ武蔵」を積極的に使用し、高精米が難しい品種にもかかわらず当初から大吟醸造りに挑戦。また米の品質向上を目的に、さけ武蔵生産組合を設立し、この取り組みが評価され埼玉農業大賞を受賞。最近6年の全国新酒鑑評会では、他蔵が殆ど山田錦使用の出品酒の中、当蔵はさけ武蔵で金賞1回、入賞3回の成績を収めております。
醬油店の軒先に吊るされた、新酒完成を告げる杉玉は凡そ半年を経て適度に枯れた色合い。昨年醸された新酒も今では同じ具合いに熟成しているのでしょう。ところで気に為る醬油関連の微生物ですが、以前ソムリエ協会の例会にて当蔵の五十嵐昭洋氏のお話を伺ったところ、これが何の問題も無く、酒造への影響は無いのだそうです。店内にお邪魔すると、解放された裏口から蔵人が忙しそうに立ち回っている姿が見られ、店員さんは醤油屋の方という事でした。そして選んだお土産は鏡山酒造の酒粕。
一般的に安価な酒粕は「板粕」と呼ばれる、圧搾機でしっかりと酒分を搾り切った物の為、乾いて固めの、加えてガムの様に歯にべとつく触感とスカスカな薄っぺらい風味で単体で食すには難しいのですが、本製品は少量生産の蔵元で行われる伝統的な「袋搾り」という、袋を積み重ねて優しく圧搾する上槽法の酒から取れた上物の「バラ粕」。残存する酒分によりしっとりとして柔らかく溶け易い木綿豆腐の様なテクスチャーは他と一線を画すもので、豊かで上品な酒粕風味はその儘でも十分食べられる味わい。栄養食品である酒粕を一日50g食する事を最近の習慣としている筆者は、残りはデザート感覚でダーク・チョコレートと一緒に楽しむ予定であります。
今回の訪問記は以上に為りますが、文化財豊かな埼玉県川越市の魅力は無論これだけではありません。是非その目と足と口で体験しにいらしてみて下さい^^