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言葉に込められた宣伝効果
きらめくブロンドの髪に印象的な口元のホクロ、20世紀の偉大なスタイルアイコンといえば、マリリン・モンロー。「寝るときに身につけるのはシャネルの5番。」は、言わずと知れた名言ですが、彼女はシャンパンについても素敵な言葉を残しています。
「毎朝欠かさないのはパイパー・エドシック。私の目覚めの一杯よ。」
こんなセリフを聞いてしまったら、どれほど多くの人がモンローの愛するお酒に興味を持ち、飲んでいみたいと思ったことでしょう。彼女の一言が大きな宣伝効果に繋がったことは想像に容易いですよね。
絵画に込められた宣伝効果
こちらは“フローレンス・ルイをマリー・アントワネットに献上するフローレンス=ルイ・エドシック” と題された絵画です。エドシック家が末代まで語り継ぐべき瞬間を記録として残すために描かれたものです。
時はフランス革命前の1785年フランス。羊毛の仲買人だったフローレンス=ルイ・エドシックは“王妃に相応しいシャンパンを(réussir une cuvée digne dʼune reine)”と、シャンパンを製造するパイパー・エドシック社を創業します。
丹精を込めて造られ、洗練さと優美な味わいを持つ素晴らしい完成度のシャンパンは、1789年5月6日、ベルサイユ宮殿の庭園内にある離宮プチ・トリアノン宮殿で王妃マリー・アントワネットに献上される日を迎えます。
茶色い膝丈のコートを纏った男性(フローレンス=ルイ・エドシック)が手にしているのがパイパー・エドシック社のシャンパン第1号 “フローレンス・ルイ”のボトルです。実際にシャンパーニュを献上する際には、ピンク色のドレスを纏った王妃の視線の先にワインのラベルが向けられていたにちがいありません。ですが、この絵画では鑑賞する人に向かって真正面に向けられています。実際にはラベルの細かい文字まで鮮明に描写されてるそうです。
2006年公開のソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』でもパリの老舗パティスリー
ラデュレのマカロンが登場し話題となりましたが、実際に彼女が生きていた時代の絵画の中に実在する商品を登場させるというのは、“プロダクトプレイスメント”と呼ばれる広告手法の先駆けとなる発想です。今から200年以上も前にこんなことを思いつくとは、フローレンス=ルイ・エドシックは凄腕の商人だったのでしょうね。
そして、創業から200年以上経過した今、マリー・アントワネットはこのワインブランドの善大使(アンバサダー)に認定されています。彼女の卓越したセンス、ファッション、美食は時を経た現代の私たちから見てもとても魅力的です。彼女のお気に入りという称号を得ていた史実を大切にし、シャンパンのブランド価値を更に高めたプロモーションです。彼女はこれからもこのシャンパンのインフルエンサーとして活躍するのでしょうね。
お供には…“Camembert de Normandie - カマンベール・ド・ノルマンディ”
世界中でとてもよく知られるチーズのひとつ、カマンベール。手のひらサイズの円筒形、表面にうっすらと白色のカビを纏った美しい佇まいのチーズです。名前は、このチーズが作られるフランスのノルマンディー地方の小さな村カマンベールに由来しています。
ナポレオン1世の時代に誕生したと伝えられており、当時から既に近隣の町の市場ではおしゃれなチーズとして人気がありましたが、パリではまだ知られていない存在でした。このチーズが一躍有名になったのは、1850年に開通したこの地方とパリを結ぶ鉄道と、長距離輸送でも柔らかいチーズの形が崩れないようにとポプラの薄い木板で作られた丸い箱に入れたことでした。更に、鉄道の開通式のためにノルマンディー地方を訪れたナポレオンが献上された名物のカマンベールをたいそう気に入り、その美味しさを讃えたことでした。
“ナポレオンのお墨付き”というキャッチコピーを得たカマンベールは、商人たちの巧なセールストークに乗って、小さな村から一気に花の都のパリへ、そして世界中に運ばれ、広まったのです。
突如として都会の人気者になってしまった田舎育ちのカマンベールですが、その急上昇した人気の影でたくさんの模造品が作られるようになりました。フランス国内はもとより、近隣諸国でも大量に生産されるようになると、安価な原材料を使用し名前だけを語った粗悪品が横行してしまいました。
そんな事態を解消しようと用いられたのが“ナポレオン1世のイラスト入りの木箱のパッケージ”です。ナポレオン1世のビジュアルはチーズに特別な権威を与え、多くの人の心を惹きつけました。実際に鉄道の開通式に参列し、チーズの虜となったのはナポレオン1世ではなく3世だったのですが…。これもチーズの価値を高めて販売する商売の知恵。広告の力は偉大です。
ところで、今ではスーパーマーケットやコンビニエンスストアのチーズコーナーでも目にするカマンベールは、いったいいつから私たち日本人の身近な存在になったのでしょう。
1960年代から国内乳業メーカーがカマンベールチーズの開発を進めていました。ですが、今から60年前、ちょうど前回の東京オリンピックが開催された頃の日本に、カマンベールを食べたことのある人がどれほどいたのでしょうか?バターでさえも匂いが気になると倦厭されていた時代です。カマンベールを知っていたとしても、カビを纏った独特の香りのチーズを好んで買う人は少なかったことでしょう。それがバブル景気の波に乗り、ワインブームが到来。1990年台後半になると、カマンベールを使った身近なメニューがチェーンレストランで扱われるようになりました。
大ぶりにカットした塊をのせて焼き上げたピザや、形を生かして丸ごとオーブンで焼いて溶けたチーズをからめて食べるフォンデュなど、これらは本場フランスにはない日本独自の食べ方です。伝統あるフランスチーズに日本独自のアレンジが加わらなければ、今の私たちはその美味しさを知らずにいたのかも知れません。カマンベールの美味しさを広めてくれた飲食業界のみなさまに感謝の気持ちを込めて乾杯!