歴史上の「英雄」というと誰が思い浮かぶでしょうか?
小説、映画、漫画に留まらず、アニメやゲームにも登場し、現代でも人気のある英雄たち。彼らにもワインにまつわるお話があるのです。
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ワインを飲んでいた最古の英雄
ワイン造りにはとても古い歴史があります。現在のショージア(旧グルジア)の東西を黒海からカスピ海まで走るコーカサス山脈の周辺地域でワイン醸造用の素焼きの壺が発見されており、紀元前6000年頃には既にワインが作られていたことが証明されています。
ワインに関する文献で最も古いものとなると、ショージアの素焼きの壺から4000年経過し、紀元前2000年頃に作られたとされる粘土板に楔柄文字で刻まれた”ギルガメッシュ叙事詩”です。実在する最古の王、古代メソポタミアのギルガメッシュが不老不死を求めて旅をするこの物語の中に「大洪水に備えて船を作らせた時に、船大工たちに赤ぶどう酒と白ぶどう酒を振舞った」との記述があります。
ギルガメッシュが飲んでいたワインとはどのようなものだったのでしょうか。ワインは人間が試行錯誤の末に作り出したものではなく、潰れて傷み、果汁が出てしまった残りもののぶどうが自然発酵したものをたまたま見つけて飲んだのが始まりと言われています。ですから「ぶどうを足で踏み、それを布袋に入れて絞り汁を取り出す」という濾過の工程も発明されるずっと以前のものなのです。それは果汁に皮や茎が混ざり、どろりとした苦くて渋い液体でした。飲むというよりは蜂蜜を加えて、食べるものだったようです。当時の日本はまだ稲作も始まっていない縄文時代。そんな頃に英雄のギルガメッシュから労いとして振る舞われたこの原始的なワインは、労働者にとっても王にとっても、特別に価値あるものだったに違いありません。
織田信長1543~1582年
日本で一番最初にワインを飲んだのは戦国大名の中でも絶大な人気を誇る英雄、織田信長だといわれています。
ヨーロッパ人として初めて日本に上陸したのは、種子島に漂着した中国船に乗っていたポルトガル人。奇しくも信長がこの世に生を受けた1543年のことです。その後、ポルトガル王の命を受けてキリスト教を伝導するために派遣された宣教師が、大名への贈り物として献上したのがポルトガルワインでした。
長い海上の旅を経て持ち込まれた当時のワインはどんな味だったのでしょう。今のように冷蔵庫がない時代、私たちが日常的に飲んでいるようなワインは美味しさを保つことはできません。醸造過程で蒸留酒を添加しワイン自体のアルコール度数を上げて味にコクを持たせ、保存性を高めた現在の赤いポートワインのようなものではないかと伝えられています。ポルトガル語で赤は”Tinto(ティント)”、それが訛って、”珍陀酒(ちんたしゅ)”と呼ばれていました。
好奇心が旺盛で新しい物好き、キリスト教徒を歓迎した信長がワインを好んだというのはなんとも頷けるお話ですが、実は下戸だったとか。彼が本当にワインを飲んでいたのかを証明する史実が残されていないというのもワインにまつわる素敵な美談です。
ちなみに、信長と並ぶ三英傑の豊臣秀吉と徳川家康の二人にはキリスト教宣教師からワインが献上されており、家康に至っては”ぶどう酒の樽が2つ。そのうちの1つはシェリー酒、もう1つは赤ぶどう酒だった。”という詳細な記録が残されています。
ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン一世)1769~1821年
赤いマントを翻し、颯爽と白い馬に乗った姿は正に英雄のイメージそのもの。フランス革命後の混乱を収拾し、軍人から皇帝に登りつめた彼を知らない人はいないでしょう。
ですが、実際の彼はすんぐりむっくりとした体型で、敵に見つかりにくいグレーのコートを纏い、急な山岳地帯で移動ができるようラバに跨ってアルプスの峠を越えてイタリアへ遠征しました。「肖像画は本人に似ている必要はない。そこからその人物の天才性がにじみ出ていたらいいのだ。」そう言って、肖像画を描かせたそうです。
そんな彼の大のお気に入りはフランスはブルゴーニュ地方の高名な赤ワイン、ピノ・ノワール種から作られる”ジュヴレ・シャンベルタン”でした。遠征の際にはこのワインを携え、戦いの前に勝利を祈願して飲んでいたそうです。深いルビー色で威厳を持った力強さ、複雑な香りと品格ある味わいは、”ブルゴーニュワインの王様”と称えられています。また、ナポレオン一世が愛したワインということから”王のワイン”とも呼ばれています。更には、唯一彼がこのワインを飲まずに挑んだロシア遠征で大敗を喫し、「敗北はシャンベルタンを飲まなかったからだ」との逸話もあるほどなのです。
戦場でゆっくり美味しい食事とワインを楽しむ余裕があったのかどうか...。ナポレオンの食生活は意外と質素で早食いだったとか。今や真実を知るのは彼本人だけなのでしょうね。
お供には...そら豆とペコリーノチーズ
エジプトでは4000年も前から食用として栽培されていたそら豆の旬は4月~6月の初夏です。日本のそら豆と比べ、ナポレオン一世が遠征したイタリアのそら豆は鞘が細く長く30cm程。その中に5~7粒の小ぶりの豆が並び、”Fave”(ファーべ)”と呼ばれています。地産地消の野菜であるそら豆は収穫後2~3日は薄皮ごと食べても気にならず、ほどよい噛みごたえと甘みが特徴です。特に、羊乳から作られるペコリーノチーズとの相性は、5月のローマで”そら豆とペコリーノ祭”が風物詩となるほど相性の良い組合せです。
イタリアのそら豆のお味はいつか現地を訪れて採れたてをいただくことにして、日本のそら豆でアレンジしたワインのお供はいかがですか?甘いそら豆を口に入れて塩加減の強いペコリーノチーズを放り込む。そして仕上げにワインを流し込めば、口の中にも初夏が訪れそうです。
材料
- そら豆:5さや
- 水:1000ml
- 塩:大さじ2
- ペコリーノチーズ:10g
- オリーブオイル:おこのみ
作り方
1) お鍋に湯を沸かし、塩を入れます。
2) さや付きのままのそら豆を入れ、2分ほど茹でます。
3) お鍋に蓋をして5分、余熱を通します。
4) そら豆をざるにあげ、さやと薄皮を外します。
5) ペコリーノチーズを削ります。
6) さやから外し薄皮を剥いたそら豆とペコリーノチーズを和え、オリーブオイルをまわし掛けます。
※スパイシーなワインと合わせるときは胡椒を一振りどうぞ。
それにしても何故、ナポレオン一世は極寒のロシアに攻め入ってしまったのでしょう。せっかくなら一冬越し、領地であるイタリアで初夏のそら豆とペコリーノチーズを存分に味わってから出陣してもよかったのに...。北方のロシアの地であっても、夏の戦いならシャンベルタンを飲まずしても冬将軍に出会う前に討ち任せたのかもしれません。なんて、ワインを片手にチーズを味わいながら歴史の明暗に思いを馳せるのは私のような食いしん坊だけでしょうか。